今回は煩悩の断ち切り方を紹介していきます。
そもそも煩悩の意味をあなたはご存知でしょうか?
煩悩とは心身にまといつき心をかきみだす、一切の妄念・欲望のことです。
その煩悩は108あると言われております。
私のもとにも
「煩悩を断ち切りたい!!!」というご相談がよくきますので、ここでまとめさせていただきました。
煩悩は断ち切らなくても良い方もいる
まず、いきなりですが煩悩は無理に断ち切らなくても良い方も大勢いらっしゃいます。
煩悩というと良くないイメージがあるかもしれませんが、必ずしもそうとは言えません。
煩悩とは「欲」のようなものです。
〜〜がしたい
〜〜が欲しい
といった誰にでもあるものです。
そして煩悩を断ち切ってしまうと「無欲」になってしまい、生産性や人生の質が落ちたりすることもあるのです。
そのような人は一言で言えば
「煩悩(欲)に振り回されていない人」
きちんと理性が働きブレーキをかけることが出来ており、欲に振り回されず、適度に欲を解消している。
そんな人は煩悩を断ち切る必要はありません。
そのような人が無理に煩悩を断ち切ってしまえば、上記でお伝えしたような無欲状態になってしまう恐れもございます。
逆に
・欲望に振り回されている
・やるべきことよりも自分の欲を優先して行動してしまう。
・何らかに依存しており、日常生活に支障がでている。
などという人は煩悩を断ち切る必要がございます。
では、これからは煩悩を断ち切る方法を紹介していきます。
煩悩を断ち切る方法
滝行を行う
私たち修験者が厳しい自然環境のなかに身を置き、修行をするのは煩悩を断ち切る目的もございます。
厳しい修行には煩悩を断ち切る強い効果があるのですが、さすがに山の中にこもり何日も、わずかな食糧のみで耐え抜くのは一般の方にはおすすめできません。
しかし、その修行の一環として比較的簡単にできるのが「滝行」です。
最近は人気が出てきており、滝行を希望する方が増えてきているようですが、その多くは「浄化」目的です。
ですが、滝行には煩悩を断ち切る強い効果もございます。
出来るだけ過酷な環境(冬場)で滝行を行うことでよりその効果は強まります。
滝に打たれているときに依存している断ち切りたいことを頭の中で念じると良いででしょう。
デジタルデトックスを行う
デジタルデトックスとは、電化製品(主にPCや携帯電話)から解放された生活を行うことです。
主に土日限定で行われることが多いようです。
いまや私たちの生活には欠かさないものとなったデジタルデバイスですが
「インターネット依存」「スマートフォン依存」「オンラインゲーム依存」「SNS疲れ」「SNSいじめ」など多くの弊害も生まれてしまいました。
24時間簡単に情報にアクセスでき、人に連絡を取れるのは便利な反面、我々の生活から自由を奪い、多くの煩悩を生み出すことになりました。
そんなデジタルデバイスからのデトックスを期間限定で行うことで煩悩から断ち切ることができます。
これはできれば「一週間以上」行った方が良いでしょう。
ただ、もちろんお仕事などでどうしても携帯電話やPCが必要ということもあるでしょう。
そこで完全に使用を禁止するのではなく「仕事以外でのプライベートでは一切の使用を禁止」などの制限を設けましょう。
もちろん、事前に何も知らせないと「連絡がいつまでたっても来ない」などと相手から思われてしまうため、知人・友人にはこのことは知らせておきましょう。
帰宅後は真っ先にPCを立ち上げ、ゲームに興じる方。
寝る前にいつまでもダラダラとスマートフォンでSNSをしてしまう方は多いと思います。
ですので、これは滝行よりも辛いと感じる方も多いでしょう。
しかし辛さ、きつさを感じなければ意味がございません。
その辛さ、きつさの先に煩悩からの解放が待っておりますので頑張ってみてください。
断捨離を行う
あなたは不要品に囲まれて生活をしておりませんか?
物からも実はエネルギーは発せられており、そのエネルギーにより煩悩が刺激されることがございます。
実際に、欲望に忠実で多くの依存を抱えている人の部屋は物が非常に多く、整理整頓もされていない方がほとんどです。
ですので、煩悩を断ち切ることを希望される方はまず、部屋の不用品を捨ててみましょう。
あくまで不用品のみです。
そうするだけで煩悩に振り回されることも減るはずです。
詳しくはこちらの記事をご覧ください。
除夜の鐘を利用する
普段意識される事はあまりないかもしれませんが、煩悩を払うために大晦日に108回連続で叩きます。
その除夜の音の鐘をしっかりと聞くことで煩悩を断ち切ることができます。
確実性は低いですが、一番お手軽な煩悩の断ち切り方となります。
除夜の鐘で払われた煩悩は「菩提」になることもある。
除夜の金で払われた煩悩はどうなるかご存知でしょうか?
そのまま消える事もございますし、消えずに集合体となり漂流することもあります。
煩悩といっても一度体外に排出されたらただの自然有機物となり、危険はありません。
そしてごく稀に本体から切り離されたことで、雑念が消え煩悩から「菩提(ぼだい)」になってあなたの元に戻ってくることがあるのです。
菩提とは煩悩を断って悟りえた無上の境地の事です。
一言でいうと「何でも受け入れる」事が出来るようになるのです。
人の苦しみが生まれるのは人が拒絶してしまうからです。
受けつけない人を拒絶したり、体から生じる痛みを拒絶したり、自分の体の特徴を否定し拒絶したり、人生そのものを拒絶したり…
自分が受け入れられないものを人は無意識に拒絶し、そこから苦しみが生まれていくのです。
ですがどんな方でも全てを受け入れられるという事は基本的にありえません。
しかしどのようなことでも例外はございます。
菩提の境地までたどり着いた方は全てを受け入れる事が出来、苦しみが生じなくなるのです。
そして全てを受け入れると不思議な現象が起きます。
今まで受け入れられず不快感を感じていたことに不快感を感じなくなったり、痛みを感じなくなったりするのです
魔法のような話ですが心から受け入れる事でマイナス因子が緩和され、何も感じなくなるのです。
そして何でも受け入れるようになった先に待っているのは愛や喜びです。
今まで以上に人からの愛を強く感じられるようになったり、生きる喜びを噛みしめられるようになるのです。
両親、親友との世間話などでも「自分は愛されている」という実感を強く感じられるようにもなります。
そして食事の時、仕事の時、寝ている時、趣味に勤しんでいる時…
あらゆる時に愛されている実感、そして人生における喜びを今まで以上に強く感じられるようになるのです。
何でも受け入れられるようになり、拒絶も無くなる。
とても信じる事は出来ないかもしれません。
未来への不安などから心配事がたくさん生じてしまう状態の事です。
ちょっとしたことで不安を感じたりする機会が多いのではないでしょうか?
自分を戒めたりしても、心饒は中々変わるものではありません。
それどころか心配事が増えることでどんどんと心饒の状態が強まっていくという負のループに陥る事も多いのです。
ですが菩提は今のあなたの状態を一変してくれるはずです。
そもそも心配事も未来を「受け入れる事が出来ない」という拒絶から生じているのです。
全てを受け入れる菩提状態になれば、心配事が生じることも無くなるはずです。
まとめ
これまでお伝えしたことをまとめますと
煩悩は断ち切らなくても良いこともある。
煩悩の断ち切り方は主に三つ
そして煩悩から菩提へと繋がることもある、ですね。
自分は煩悩を払うべきか、迷われている方もわからない方もいらっしゃると思います。
私であればすぐにその見極めができますので、遠慮なくご相談をしていただければ嬉しく思います。